イベントシナリオ『キミに捧げし大地のソナタ』の第5話、そして今回のイベントシナリオの感想(というかアリキノについて)書いていきます。
第5話の内容
再び現れたアリキノ。「死んでも蘇る」という特異な能力を持ったメギドだったようです。前話の死にかけたと言うエピソードは伏線。貯蔵庫にあったフォトンも全て使ったため、そのパワーは絶大なものになっています。
大きな力を得たからか、口調もすっかり変わってしまっています。そして、自分がヴィータを殺していたこと、指揮術を盗むため上層部から送られたスパイであったことも明かします。
フォトンが枯渇し、サタナイルがなぶられる様を眺めるしか無いソロモン達。バルバトスがこっそりくすねていた「携帯フォトン」だけを頼りに戦うこととなります。
しかしアリキノの指揮により戦闘はジリ貧状態で、このままでは敗北は免れません。幻獣たちはサタナイルの指揮も効かなくなっています。絶体絶命の状況でソロモンとサタナイルは手を組むことに。そして切り札となったのが何を隠そうリジェネレイトクロケル。
彼女の鐘でアリキノの指揮をかき消し、サタナイルの指揮で幻獣たちを遠くへ逃しました。これで残すはアリキノ本人のみ。
再び幻獣体となりソロモン達の前に立ちはだかるアリキノ。最終決戦の結果は、フォトンの枯渇により体を維持できなくなったアリキノの負けとなりました。
メギドラルに戻りこの一件を報告するつもりのサタナイル。ですがそんなことをしたら間違いなく重い罰を受けることになるでしょう。
再びサタナイルを誘うバルバトスとソロモン。メギドラルを「滅ぼす」のではなく「変える」というソロモンの言葉に彼女は心を打たれます。メギドを口説くことに関してはバルバトスパイモンより心得ているソロモン。
ですが「ソナタ」と「ストラ」はメギドラルが変わるその日までお預けです。
「大地のソナタ」の演奏にすっかり心奪われた様子のクロケル。そんな彼女を見てサタナイルも再び音楽の力を再認識したようです。
クロケルの何気ない問い。メギド「サタナイル」とヴィータ「ソナタ」、どちらが本当のサタナイルなのか。安っぽい答えですが、どちらの顔もサタナイルそのものなのだと思います。
サタナイルは1話で「自分に才能は無いことはわかっていたけど、久々に楽器を見たから触りたくなった。」と言っています。演奏に自信のなかった彼女にとって、クロケルのこの言葉は最高の褒め言葉だったんじゃないでしょうか。音楽が彼女という存在を肯定する理由になったのだから。
アリキノについて
アリキノについてはTwitter上なので多くの方が様々な考察をしており、私も楽しく読ませたいただきました。
個人的な結論としては、彼が終盤サタナイルを裏切った理由は「いろいろな不幸が重なったから」としました。そこに至る経緯にアリキノの具体的な意志はないと思っています。
根拠はバルバトスのこのモノローグ。
蘇る力…ひょっとするとそれが彼を変えてしまったのか…?
力の弱いメギドが、力を得た瞬間に豹変する…そんなのはよくある話だしな
力がないときにはサタナイルの理想に共感できていても…力があればそれは戯言ってわけだ
これが大筋の答えだと思っています。メタ的な読み方ですが「終盤にキャラがこういう推測に至る時はそれが明確に否定されない限りは合っている」と私は読み取ります。アリキノがサタナイルとバルバトスの関係性をどう見たのかというのは直接的な描写が一切なかったので私は省いています。
何より彼は「真っ当なメギド」です。
では最初から裏切る気だったのかと言われると……正直難しいところです。サタナイルを本当に尊敬していたというのは下級メギドとの喧嘩のシーンが何よりの証拠でしょう。※ただ、指揮優先度を変える仕込みをしていたこと、1回目の死の際に「幻獣をすべて失った」と嘘をついていたこと、自分の能力を黙っていたことを見るにある程度計画的だった可能性はあります。
サタナイルに背きヴィータを始末していたのもやはり上層部から彼女を守るためという面が強いんじゃないかと思います。この行為からアリキノは「彼女の理想を叶えることに協力的ではあっても、その理想に自分も殉ずる気はない」のでは私は感じました。
ですので音楽についても理解していなかったんじゃないかと思います。クロケルのベルに対しての情緒がない発言があるので微妙ですが、音楽の情緒を理解できずとも情緒という言葉自体は知っているはずなので、単純に煽り台詞として使ったと読み取ることは一応できます。真に音楽を理解しているのであればサタナイルとは「同志」になっていたと思います。
彼にとってあくまで音楽とは指揮術であり、フォトンを操るという能力を活かす唯一の術であり、無力だった自分にそれを授けてくれたサタナイルは恩人です。それ故彼女の掲げる理想の手助けをしたいと思っています。それが個人的には同意できないものであっても。
「ゴミみてえな理想でも…それを叶えるには力がいる!」というモノローグからも「理想の内容には賛同していなかったこと」「それでも叶えたい(叶えさせてあげたかった)」ということがわかります。暴走してもなお「(彼女のために)この理想は果たさなければならない」という願望だけは残り続けているように私には見えました。
アリキノの考えの根っこのところは、やはり5話-4の回想を絡めたモノローグでしょう。
どんな素晴らしい理想を掲げていても、力がなければ下級メギドに負け、幻獣化して力を手にしてもなおソロモンには負ける、というのが現実。それはサタナイルとて同じで、より強大な力の前には理想など何の役にも立ちません。「命を賭けてでも理想に守る」のはキレイゴトに過ぎないことを、アリキノは死んでも蘇るという能力で誰よりも自覚したはずです。
- 再生能力を持つゆえに力の必要性を痛感した
- 幻獣化のせいで分不相応な力を得てしまった
- 彼女を尊敬していたが彼女の価値観には共感できていなかった
不幸にもこういった要素が絡みあい「力のない真っ当なメギド」を凶行に走らせることになった、というのが私の私見です。
最後にサタナイルは彼を巻き込んだ結果破滅に至ってしまったことを謝罪するとともに感謝も述べます。
サタナイルの良き部下「アリキノ」と真っ当なメギド「アリキノ」はどちらも彼の本質であり、彼女はそのどちらも否定することはしませんでした。それに対しアリキノは部下としての顔を見せながら、おそらく少しだけは安らかに逝ったんじゃないかと思います。
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