『The Last of Us』のラストについての感想

ゲームレビュー

今さらながら『The Last of Us』を初プレイ・クリアしました。

評判通りとても面白いゲームでした。正直いわゆる「ムービーゲー」の一つだと思っていたのですが、ストーリーや演出、映像美はもちろんのこと、アクションゲームとしての完成度も高く最高の一言です。エンディングを迎えた瞬間には達成感と喪失感の入り混じった感情がどっと押し寄せてきました。

特にあのラストシーンについては多くの議論がなされており、考察の中心にもなっているようです。

今さら私が考察したところで新しい読み方などが出てくることはありませんが、今回はあのラストシーンの細かな点について考えてみました。

※DLCやゲーム外で公式見解が出されたり続編が決定してその後の展開が今後確定していますが、それらはすべて後出し後付けの情報・設定としてあくまで本作内だけの情報で語っています。

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噛まれた跡を撫でる描写

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ラストチャプターの最初で車から降りる際、エリーは袖をまくり噛まれた跡をそっと撫でます。なにか思いに耽っているようでかなり意味ありげなカットです。

「感染箇所が大きくなっており、その後の発言と合わせていずれエリーも感染者へと姿を変える伏線では」という解釈があるようですが、私には特に傷跡が大きくなっているようには見えませんでした。

※「傷跡が大きくなっているように見えるのは公式が否定している」という情報を色々なところで見かけたのですが、ソースが見つかりませんでした。

であるならば、このカットは何を意味しているのかを考えてみました。

いずれ感染が進むかもしれない恐怖

まず見てわかるのは、あの傷跡は癒えることはないということです。噛まれてから約一年が経過していますが、あの痛々しく生理的嫌悪感すら覚える傷跡はエリーの腕にしっかりと残っています。

なぜかいつまで経っても感染が進まない。そして「あなたには抗体がある」と口で説明されたところで安心できるでしょうか。私はそうではないと思います。

「どうせ最後にはみんなおかしくなる」「私はまだ待ってるの」

エリーはいつか突然来るかもしれない「おかしくなる」瞬間に日々怯えながら過ごしているんじゃないでしょうか。事あるごとに傷跡が変化していないか、気になってしょうがないと思います。

それならばいっそ、ワクチン完成に自身の命を賭けるのも悪くはないのでは。まだ生きている大切な仲間を守るために。死んでいった仲間たちを報うために。

なぜラストシーンはエリー操作なのか

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森を抜ける間、プレイヤーが操作するのはなぜかジョエルではなくエリーです。

このゲームの主人公は間違いなくジョエルのはずです。本作でエリー操作になったのはジョエルが倒れた時だけです。ではなぜラストシーンはジョエル操作ではないのでしょうか。

私は「ジョエルがプレイヤーの手から離れてしまったから」と考えました。

プレイヤーの分身である主人公

ゲームの感想を語る中で「感情移入」という単語がよく出てきます。

ゲームといってもプレイヤーがシナリオに介入できる余地はほとんどありません。それができるのは一部の自由度の高いゲームぐらいで、特に本作のような一本道のシナリオであればプレイヤーの考えは一切反映されません。

そこで重要になってくるのが「プレイヤーが主人公に感情移入できているかどうか」です。

プレイヤーが感情移入できていれば主人公に同調しやすくなります。主人公の言動や価値観に多少の齟齬が生まれても「でも主人公がこうする気持ちもわかる」となります。

感情移入という点において本作は大成功しています。あの悲劇的なオープニングを見せられて、ほとんどのプレイヤーはジョエルに同情し感情移入してしまうでしょう。

ですが、ゲーム終盤に大きな分岐点が訪れます。病院の場面、「世界のためにエリーを犠牲にするか、エリーの生存を選ぶか」です。

プレイヤーの分身ではなくなったジョエル

プレイヤーに選択権のないこのゲームでは当然ジョエルが行動を選ぶことになります。この選択はプレイヤーによって受け取り方が大きく異なってくるものかと思われます。

もちろん「俺はジョエルと全く同じ気持ちだぜ皆殺しだヒャッハー」という方もいらっしゃるでしょうが、ここでジョエルに同調できなくなったという方も少なくはないでしょう。特に無抵抗の医者を殺さなければならない場面では嫌悪感を覚えた人もいるのでは。

選択肢は作らず、賛否を生んだのは製作サイドも承知の上でしょう。「ジョエルはプレイヤーの分身ではなくイチ個人」という現れがラストシーンのエリー操作の意味なんじゃないでしょうか。

ちなみにこの森のシーン、ジョエルを追い抜くことができません。主人公であったはずのジョエルが勝手に先へと走る背中をエリー視点で見続ける構図になっています。この点においても「ジョエルがプレイヤーと乖離している」と解釈することができるんじゃないでしょうか。

選択肢を作ってマルチエンドにすればよかったのか?と言えばそうは思いません。もはやエリーが生きる希望のジョエルにしてみればあそこでエリーを犠牲にする選択肢はどう考えてもありえません。仮にそれがエリーの意思に反していたとしても。マルチエンドはプレイヤーにとっては優しい救済措置になり得ますが、一本道であることでジョエルといういちキャラクターの描写が完成しているんだと思います。

エンディング後、二人はどうするのか

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二人の今後を想像する上で必要になってくるのがラストの「わかった」をどう解釈するかです。これについてはたくさんの方が様々な考察をしています。

考察のパターンを大きく2つに分けると「エリーが嘘を受け入れ共存するエンド」か「エリーが嘘を受け入れず決別するエンド」が主流です。

個人的結論を言うと「どっちにしろいずれ決別することになる」です。なぜならジョエルはマーリーンを殺してしまったから。

マーリーンの存在

他人の感想や考察見ているとわりとないがしろにされているマーリーンですが、二人の関係を考える上でこの殺害の件は避けられないのではないでしょうか。

共存エンドの場合二人はそのままトミーのいる街で暮らすことになりますが、ファイアフライ壊滅、リーダーのマーリーン死亡の一報はエリーの耳に入るはずです。

そうでなくともファイアフライ残党からすればジョエルはお尋ね者ですし、まだワクチンを作る気があるならエリーを狙いに刺客が送られることでしょう。いずれエリーは事実を知ることになります。

ジョエル視点だったプレイヤーからするとマーリーンは敵ですしあまり良い印象もありませんが、エリーにとってはジョエルと同様に大切な人物のはずです。

「あいつはお前を殺すつもりだったんだぞ!」と言ったところで弁解にはならないでしょう。だからといって殺す必要はありませんし、エリーは自身が死ぬことを知ってもなおワクチンを作る覚悟があったかもしれません。

なんにせよ二人の関係に亀裂が入ることは避けられないはずです。

※「公式見解でエリーはジョエルに失望しており決別することとなる」という発言をちらほら見かけますが、これはあくまで脚本家個人の考えであって制作全体の公式見解ではないそうです。