『ジョーカー』の宣伝ポスターにもなっている、アーサーが化粧ににじむ涙を止めるため無理やり笑顔を作っているカット。
私は鑑賞時、これがオープニングど頭のシーンで流れたので驚きました。
てっきりアーサーがさんざん辛い目にあったあとの中盤に出てくるものかと……。アーサーは本編が始まる前から壮絶な人生を歩んできたことをにおわせる、インパクトのあるオープニングです。
で、このシーンから思考を飛躍させた結果、そもそもアーサーはコメディアンになりたくなかったんじゃないか?と思い始めました。
アーサーがコメディアンを目指していたのは母のせい
アーサーは自分についてこう語っています。
母にいつも言われてた。”どんな時も笑顔で”
俺には使命があるらしい。人々を楽しませることだ。
公式予告映像より引用
「使命があるらしい」という言い回しは、自分の考えはなく、他人の意思に従っているだけとも取れます。
また、あらすじにはこんなことも。
「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。
公式サイトより引用
「コメディアンを夢見る」と書いてあるものの、その大元は母親の言葉です。
推測ですが、小さい頃から笑い症状に悩まされていたアーサーは、母親から「笑顔は素晴らしいもの」「お前が笑ってしまうのは人々を楽しませるため」という類の気休めをかけられ続けていたのだと思います。
その結果、笑いがアイデンティティ=ピエロ・コメディアンをやるべきという、本人の意思とは無関係の短絡的な結論に至ってしまったのではないでしょうか。
冒頭のメイクシーンで涙が流れてしまうのも、ピエロなんて本当はやりたくないから。
実際、アーサーは「笑い者にされる」ことをかなり嫌がっていました。ピエロやコメディアンに向いているとは思えません。
「笑わせる」と「笑われる」は違うとよく言いますが、違いは過程だけで結果は同じです。アーサーが本当に「人を楽しませること」を使命だと信じていたのなら許容できたはず。
つまり、「コメディアンになりたいという夢」も「人々を笑顔にするという使命」もアーサー本人が導き出した結論ではなく、母親によるもの。
笑いのセンスを見ても人となりを見ても、アーサーはコメディアンに向いていないし自分から目指すはずないんですよ。
今風に言えば母親からかけられた「呪い」というやつでしょうか。
アーサーが目指すべきだったのは保育士?
何をやっても失敗続きのアーサー君。
いったい彼はどうすべきだったのか……と考えていたのですが、実は彼がことごとく成功していることが殺人以外にも1つあります。(妄想でなければ)
子供の相手です。
バスのシーンは親に怒られたものの子供にはウケていましたし、小児病棟もやらかすまでは順調でした。うろ覚えですが、電話越しの弁明で「この仕事はなくしたくない」的なことも言ってた気がします。
ブルースも一貫して無表情でしたが逃げるまではいかず、興味を惹いていたようでした。
もしかして、保育士なんて天職だったのでは……?