現在上映中の映画『ジョーカー』を観ました。
前評判の通り、なんというかすごい映画だったというのが素直な感想。
で、感想を語るならやはり「ラストシーンの意味」を考察したくなります。
不可解で謎も多いあのラスト。他人の感想やレビューを見回っても、ここに焦点を当てている人が多いですよね。
ただ、この映画に関してはあのラストを意識する必要はないんじゃないかな、と思いました。ファンがそれぞれ抱える「ジョーカー像」を崩さないための予防線、みたいな。
それより重要なのは、作品本編中で自分がどう感じたか。
現実世界と同じ問題を抱えるゴッサムシティで苦しみながら生きているアーサー。
そんな彼が「悪のカリスマ」たるジョーカーに変貌していくその過程に、少しでも興奮し、共感し、カタルシスを覚えてしまったのか。
まぁ、覚えちゃいますよね。
貧困に苦しむアーサーが富裕層・支配階級に一矢報いる、なんて展開は私達一般大衆にとっては強烈に気持ちがいいものです。
ただ、「この映画を観ることで自分達もジョーカーになってしまう」的な発言をよく目にするのですが、そこまでの影響力というか洗脳力はないかと思います。
ジョーカーはやはり狂人に過ぎません。
仮に今後「ジョーカーを観て犯行に及んだ!」みたいな奴が現れても、それは元からその気質があっただけでしょう。
ただ、自分がジョーカーにならずとも、力でもって富裕層を叩き潰すエキセントリックなテロリストが現実に現れたら……自分を含めた多くの群衆が、そのテロリストに同調しヒーロー・英雄と崇めもてはやしてしまう。
そんな未来はもうさほど非現実的なものではない、と実感してしまう、そんな映画でした。
一応、ラストシーンについての個人的な考察も。
まず、あのラストが時系列通り、つまり「本編ラスト後に逮捕され、精神病院に収監された」というのはありえないと思います。
なぜなら、凶悪殺人犯であるアーサーと精神科医?が護衛もなしに1対1で面談してるっていうのはおかしな話です。
精神病院に収監されていた過去の時間に戻った、という見方もできますがそうなるとウェイン親子の殺害シーンを回想(予言?)しているのが不可解。
じゃあなんだと言われると……結論は出せていません。
ただ、あの血の足跡はイメージ映像であって実際にカウンセラー殺したわけではないのでは?と考えています。
記憶は定かではないんですが、返り血を一切浴びてなかったはずです。本当に殺したのであればもっと血だらけになっているのでは。
アーサーは元から狂っていた……というメッセージだったり。