先日、シャニマスの小宮果穂役河野ひよりさんが自身の冠番組で「芹沢あさひと僕」なる夢小説を披露していていました。
この話に感銘を受けたので、私も彼女に習い「大槻唯と僕」というタイトルで夢小説を書いてみたいと思います。
小説とは呼べるほど大層なシロモノではなく、設定に少し肉付けをした程度のものです。
大槻唯と僕
僕はしがないサラリーマン。
毎日のように激務に追われている。我が社はいわゆる「ブラック企業」と言うやつなのだろう。
でも僕はこの状況を抜け出そうなんて気力すら持ち合わせていない。
僕にできるのは、目の前に積まれた大量の仕事を毎日淡々とこなし続けるだけだ。
せっかくの休日も、したいことなんてない。
「無為な人生」を送っているな、という自己嫌悪だけは意識しないように生き長らえていた。
今日も退社は11時過ぎ。睡魔と戦いながら車を家まで走らせる。
ふと、眠気覚ましにと適当にラジオのスイッチを入れた。
久々に出番の来たスピーカーから流れてきたのは、普段なら聞く気のないであろうダンスミュージックと、少女の歌声。
この曲の何が僕の琴線に触れたのかはわからない。
それでも僕はとっさにサビのワンフレーズを暗記し、帰宅後すぐにネットで検索した。
これが、僕とアイドル大槻唯の出会い。
次の休日、僕はCDショップに足を運び、例の曲「Radio Happy」を購入した。
わざわざCDを買いに行くなんて中学生以来かもしれない。
改めて、この曲を聞いてみる。
彼女の歌声はなんだか……そう、聴いてると元気が出てくる。ひどく、月並みな表現だけど。
それからというもの、僕の中で大槻唯という存在は日に日に大きくなっていった。
発売されているCDは全て揃えたし、彼女が映るテレビ番組や雑誌は必ずチェックするまでになっている。
そして僕は、ついに、彼女のライブに行くことを決断した。
たかがライブに何を大げさな、と人は笑うだろうけど、僕は生まれてこの方ライブというものに触れる機会がなかった。
アイドルのライブ、となればさらにハードルは上がる。
それと、生の彼女を見ることへの恐怖感というものも少しある。もしライブへ行って、リアルの大槻唯を知ることで、逆にこの熱が冷めてしまったら?
そんなモヤモヤを頭に抱えたまま迎えたライブ当日。
意を決して会場に足を踏み入れると、そこは人、人、人の山。熱気に当てられ頭がふわつく。
まるで通勤ラッシュの電車の中だ。こういうのが嫌だからわざわざ自動車通勤をしているというのに。
周りの人に目を向けると、団扇やらタオルやらサイリウムやらをみんな手に携えている。対する僕といえば手ぶらのスーツ姿。傍から見たらさぞ浮いていることだろう。
やっぱり、こういう場所は僕の性には合わない。来るべきじゃなかった。
そう逡巡した次の瞬間、ステージがライトに照らされ、元気な声とともに「彼女」が現れた。
そこから先はよく覚えてない。
まるで夢のような時間だったんだと思う。
ステージの上で歌って踊る彼女から目が離せず、声を張り続けていた。
いや、本当に夢だったのかもしれない。
事実、あんな体験をしておきながら、僕の日常に変化はない。また毎日、膨大な量の仕事をこなしていく日々が続いている。
ただ、それでも。
この世界が大槻唯というアイドルの存在を認めている限りは。
僕ももう少しだけ、前を向いて生きていみるのもいいのかな。そう思える気がする。
ああ、もう次のライブが待ち遠しい。
終わりに
私の中で「アイマスのアイドルとの向き合い方」は3種類あります。
1つは、プロデューサーとしてトップアイドルに導いてあげたいパターン。
もう1つは、恋愛対象として見てしまうパターン。
そして、ファンという立場でそのアイドルの存在を糧に生きるモブになりたいパターンです。